何からでも学ぶ和らぎ教室
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ふむふむつうしん 第1回

 2017年7月6日、偶然にも大安、天赦日、一粒万倍日という暦上の吉が重なる日、「学び舎ふむふむ」がスタートしました!年齢や立場などの垣根を越えて、身近なものから共に学び考える時間です。月の前半と後半で、ふたつのテーマで学びます。7月の前半は「暮らしの知恵から学ぶ日」、後半は「想像・体験の日」でした。
 7月前半の「暮らしの知恵から学ぶ日」。テーマは「年中行事・ハレとケ・七夕」。みなさんにとって年中行事とは?という問いから始まると、出てくる出てくる! 正月、七草がゆ、鏡開き、節分、、、家族の誕生日やクリスマス、大晦日などなど。育った地域の独特の風習も伺うことができておもしろい!そして「ハレとケ」とは?というところから、生活リズムや日常の緩急などについて、昔の人の知恵と現代の私たちの生活について話し合いました。
 次にこの時期の行事の「七夕」の由来について学びます。中国の伝説と日本の習俗の習合である七夕。古代日本の農村では1年を2期に分けて考えており、夏から秋への転換期にあたる7月の満月の頃、祖霊を迎え、収穫した麦や雑穀を備えて先祖に感謝する祭りを行っていました。これがのちのお盆です。満月に祖霊を迎えるための禊(みそぎ)の行事として、「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれる若い女性が祖霊に捧げる衣服を機織りでおり、祖霊が降臨する際の依代である笹にその布をつけて立てていたのが、七夕の由来とか。それと古代中国の織姫伝説が組み合わさり、星祭りの色合いが増していったようです。
 さて、なぜ七夕には星が見えにくい梅雨の夜空を見上げるの?という疑問。すぐに「旧暦」という答えが返ってくる方もいるかもしれませんが、旧暦を改めて学ぶと、なかなか複雑で意味の深いものでした。旧暦とは太陽太陰暦のこと。「太陽暦」(地球が太陽の周りを一周する時間を「1年」と考える暦=おおよそ 365.24219 が 1年)と「太陰暦」(月の満ち欠けの1サイクルにかかる時間を「1月」と考える暦=おおよそ 29.530589 日が1月。×12回で1年)の組み合わせでできています。旧暦の1日は新月、3日は三日月、15日は十五夜でほぼ満月。7日といえば、月齢7前後の日。旧暦で話せば、その日の月がどんな状態か、月あかりの程度がわかるわけです。電気がない時代、夜なべ仕事をする日も月を見ながら決めていたようです。赤穂浪士の討ち入りは「旧暦十二月十四日」だったとか。
 話しは七夕にもどり、旧暦7月7日は新暦では8月、今年でいえば8月28日。8月の夏の夜空、上弦の月が夜10時半ぐらいに西の空に沈めば、真っ暗な空。織姫と彦星が出会えるのを眺めるのも可能な気がしてきませんか?
 年中行事を意識して生活にリズムを取り入れることで、長くて短い1年、そして一瞬一瞬を豊かに生きられる気がする、ないことの豊かさを改めて感じた、起源を知ると捉え方が変わる、などの感想が参加者からきかれました。
 「学び舎ふむふむ」は知識を増やすことより、感じて考えることを大事にしたいと考えています。始まったばかりの「学び舎ふむふむ」、どうぞ一緒に育ててください。いつでも体験ができますので、皆さまの参加をお待ちしています。(ソガベ)
参考文献:『日本のしきたり 冠婚葬祭・年中行事のなぜ?』神崎宣武監修 ダイアモンド社
『日本人が忘れた季節になじむ旧暦の暮らし』千葉望著 朝日新書
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# by tomotomoso | 2017-08-01 18:12 | 学び舎ふむふむ からのご案内 | Comments(0)

個性は大事?

私たちは何でも枠にはめる癖がある
個性の尊重といいながら
個性の強い人群という枠にはめたり
個性が足りないなどと自分を持っていない意志のない人群
とくくったり

人の振りみて我が振りなおせ
というのは人と比べるためではなく
自分を律するため
学びの機会を与えてくれた人より
優れた人になるためでもない

自分を律すれど 自分に執着しない
そんな風に私は生きたい

そうしたら小沢牧子さんの文章を見つけた


『個性』よりきっと大切なもの
小沢牧子さん
子どものころ、まわりのおとなたちが「人を比べることは、はしたない」と、折々に口にするのを耳にした。誰より彼のほうが美人だとか、あの人よりこの人のほうが賢いとか、そういう話題を控えなさいという、暮らしのなかの戒めだったのだろう。その背後には、みんながいっしょに生きていくうえで、人の比較はおたがいの関係を悪くするのだよとの知恵が働いていたのだと思う。
 そんな節度や、たしなみは、いまやどこかへ消え去った。露骨な比較と評価が世の中を覆う時代になってしまったからだ。子どもは学校で、おとなは労働の場で、絶えず見張られあらゆる評価にさらされている。しかも、評価する立場にある者はその上にいる管理者から、なぜその評価をしたのか説明せよと、いわゆる説明責任を求められ、自分の評価をさらに評価される。こうしてとめどなく人を比べ値踏みを重ねるはしたない行為が、当たり前の世の中になった。その風潮は、当然のことながらおたがいの激しい競争と猜疑心を生み、人と人の関係を険しいものにし、みな臆病という病にかかり、孤独感にさいなまれている。新自由主義という名の、むきだしの競争思想がもたらした光景だ。
 一方で、このむごい社会構造を覆い隠す耳に心地よいことばが、さまざまに用意され普及していく。選択の自由、自己決定、個性の尊重などの美句だ。ひところ「みんなちがって、みんないい」という金子みすずの詩の一フレーズがもてはやされたことがあった。実は当時の学校は逆に、「みんなちがって、分相応に」と、能力別に子どもを分けていく方向だったのに。また最近「世界でひとつだけの花」と、個人の可能性や自由を賛美するかのようなヒットソングが世の中を風靡した。実は若い人たちは、花より先に自分の蕾をむしりとられるような厳しい競争と評価にさらされているというのに。心地よくあいまいなことばについ取り込まれるのは、あまりに厳しい実状の裏返しなのかもしれない。でも、いかに厳しくても、事実を見きわめるところからしか、この先の道は見えてこない。
 美しく思えるが危ない言葉のひとつに、「個性」がある。大競争時代の幕開けだった80年代後半に、臨教審答申の目玉となった言葉のひとつがこれだった。当時出された教育課程審議会答申も、個性重視をうたった。それまで個性とも自由とも縁遠かった学校を思えば、それは一見、歓迎してよい変化のように思われた。しかし「これからは子どもの個性を育てる時代だ」と言うとき、その個性とは「人に認められるすぐれた特徴」のことだったのだ。それは実は、能力の言い換えに過ぎなかった。若い人たちも「自分らしさは」「自分探しを」と、過剰な自意識に取り込まれて苦しんだ。「個性」という言葉は、他人と自分の小さなちがいを強く意識させる。そこからおたがいの比較・評価は紙一重だ。
 そうだとしたら、「個性のちがい」を取り沙汰するのをそろそろ止めてはどうだろう。そして「みんなけっこう似たりよったりだ」「人間そんなにちがわない」と、おたがいの共通の側面に目を向ける姿勢と言葉をとりもどしたい。そこではじめて、人は親しくつながれる。現在の評価社会を撃つのは容易ではないが、「人を比べることは、はしたない」というかつての知恵が、ここから生まれ直していくと信じたい。
(日本社会臨床学会運営委員)
※2004年10月1日 Fonte掲載 
 
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# by tomotomoso | 2017-01-28 12:14 | Comments(0)

限りなく透明に生きる

佐藤初女さん 『限りなく透明に凛として生きる』より
メモメモ

複雑な社会 能率・効率優先、競争
→自分をわからせたい、よくみせたい→「自分」に固執

考えないこと=単純?
→社会にふりまわされ、自分の価値観も左右し、悩みや不安も増える

哲学は
複雑なのではなく、シンプルになっていく過程で必要な考え方・手段
→透明な目で物事の本質を真面目に丁寧に生きていく

ただ精一杯ま日を真面目にていねいに生きていく

いのちのうつしかえの瞬間人も野菜も透明になる

多様なものが多様なまま共に生きる
=生命の摂理であり、宇宙の摂理
→いいところを出し合って生きていけばいい

天照大神からのいただきもの

もちつき 蒸す人、つく人、まわりの人
     みんなの心がひとつになる
     それを分かち合う

「揺れる」と「迷う」は違う
人は揺れているとき成長している

清らかにすがすがしく返事
相手をまずうけとめる



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# by tomotomoso | 2017-01-26 11:34 | Comments(0)

ブログ作成

4月から始まる学び舎ふむふむのブログです
まだテストなので私が好きな詩を

生命(いのち)は
          吉野弘
生命は 
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


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# by tomotomoso | 2017-01-25 17:28 | Comments(0)