何からでも学ぶ和らぎ教室
by tomotomoso
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

ふむふむつうしん 第19回


 新しい年が始まり早くもひと月が経とうとしています。先日、「豊田市小・中・特別支援学校児童生徒書き初め選抜展」に行ってきました。時間がなく小学生の一部しか見られなかったのですが、こどもたちそれぞれが一生懸命書くその姿が見えてくるような、個性あふれる作品群に胸が熱くなりました。上手にきれいにかけるのもすごいこと。でもその前に、与えられた紙にその時の自分のありったけを書いて表現することは、簡単そうでなかなかできないことです。書き初めや絵を描くことが子どものころ苦痛だったのをよく覚えている私には眩しくさえ映りました。選ばれた作品の向こうにもいる、たくさんのこどもたちの作品を思い浮かべ、みんなどんな思いで字を書いたのかなぁと想像しながら帰りました。

 

 1月の学び舎ふむふむは前半がそもそもをたどる日で「来訪神について知ろう」、後半は想像・体験の日で「『みえるとかみえないとか』違いを考える」、おやこふむふむは「「家族」を考える 親子の関わり」でした。『みえるとかみえないとか』は昨年出版されたヨシタケシンスケさんの絵本(アリス出版)。この絵本には、もとになったという本、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗著 光文社新書)があります。目の見えない人の物事の捉え方を知って想像体験することで、目の見える人は自分の物事の捉え方も見えてくるという、逆もまた然りということについて、「自分とは異なる体を持った存在」同士がシンプルに向き合って対話することでみえてくることをまとめた本です。例えば、見える人と見えない人の空間把握の違いの例で富士山の形の捉え方の例がありました。「見えない人にとっての富士山は、「上がちょっと欠けた円すい形」をしています。(途中省略)。見える人にとって、富士山とはまずもって「八の字の末広がり」です。つまり「上が欠けた円すい形」ではなく、「上が欠けた三角形」としてイメージしている。平面的なのです。月のような天体についても同様です。」。視覚には対象を平面化する傾向があるのに加えて、絵画やイラストが提供する文化的なイメージによってさらにその平面性が補強されている。見える人が物を見るときには文化的フィルターがかかっていることを改めて認識させるわかりやすい例だと思いました。そして見えない人には見える人にある「死角」がないから、どこが正面と捉えるということをしていなく、表は裏で裏は表というようにすべての面を対等に把握していると。読んでいて「へぇ!面白い、そういう物事の見え方捉え方があるんだ」という発見がたくさんありました。「見えない」=「障害」というすぐにはまりがちな視点ではなく、身体論的で、且つ「そっちはどう?」「こっちはね」という「対等で、かつ差異を面白がる関係」を一貫しているのが心地よい本です。

自分以外の他者は全員、「自分とは異なる体を持った存在」。相手にはどう見えて、どのように捉えているのか、たわいもないと思っていることでも、あえて言葉で表現し合しあってみるとそこにまた発見がある。対話はつきることを知りませんね。(ソガベ)


# by tomotomoso | 2019-02-11 21:25 | ふむふむつうしん | Comments(0)

ふむふむつうしん 第18回

  2年前に千葉県にある鴨川シーワールドに行き、シャチのショーを見て、胸が熱くなり思わず涙が出そうになったことがありました。シャチと人間の深い信頼関係がなければなしえないだろう息のぴったり合ったパフォーマンスに心を奪われたのだと思います。息の合った時の心地よさ、喜び、息が合わなかった悔しさ、寂しさ、みなさんはどんな息の合う体験をされてきているでしょうか。

12月の学び舎ふむふむ前半とおやこふむふむでは、自分の身体を感じて調整する、他者と息を合わせること、について考えてみました。まずは自分の身体の状態を知るべく、竹内敏晴著『「からだ」と「ことば」のレッスン』※1を参考に、自分の緊張に気づくワークをしてみました。2人一組で、ひとりが仰向けになって地に身をゆだねます。自分は力を抜いたつもりでも、他者からみるとどこかに力が入っているように見えたり、どちらかの肩があがっていたり、自分では気づかぬくせの発見です。そして観察者が手を持ち上げるなどといった働きかけをするのですが、人は相手の期待に応えようと無意識のうちに緊張するものだということにも気づかされます。「ゆったり自分のままでいて、いつ力が入ってくるか、入れるつもりもないのに入ってくるその瞬間に気づいてみて下さい」と、「習慣化した緊張に気づく」ことの大事さを竹内氏は言います。自分の緊張に気づかないと、自分が疲れるだけでなく、自分の無意識の緊張で相手をも緊張させてしまうことは日常生活の中ではしばしばあることです。もうひとつ参考にした本、山上亮著『整体的子育て2』※2には、「子どもと対話するために、自分のからだと対話する」とあります。自分のからだや感覚に意識を向けることで、相手のメッセージも受けとめられるようになるということと私は受け取りました。そして呼吸を整えることの生理的な意味や、何千種類とあるといわれる呼吸法の中からいくつか試し、相手と呼吸を合わせるということについても考えてみました。親子ふむふむでは特に、子どものことばにならないメッセージにどう応えていくか、自分が無理することなく子どものリズムに合わせるには、といった課題も出てきました。そんな話をしていたら、2歳のKちゃんとYくんが、「よーいどん!」とフリースペースKの柱を回り始めました。難しく考えずに息を合わせてやりとりする方法をふたりが見せてくれているようでした。               

学び舎ふむふむ後半はそもそもをたどる日で「「家族」について考える」で盛り上がりました。新年も様々な素材をいろんな角度から眺めて発見してふむふむしていきます。歳神さまに力をいただいて、よい新年、よいふむふむ時間となりますように。 (ソガベ)


 ※1 竹内敏晴著『「からだ」と「ことば」のレッスン』講談社現代新書

※2 山上亮著『整体的子育て2』クレヨンハウス


# by tomotomoso | 2018-12-26 17:44 | ふむふむつうしん | Comments(0)

ふむふむつうしん 第17回

おとなになって絵本を読んでもらったことありますか?字を追うのではなく、絵の世界に集中してお話をきく。こどもだけでなくおとなにも心地よい絵本の世界を感じてきました。

 先月、「一枚の葉を森へ__ケンポーってなに?」という、護憲・改憲ということに囚われずに、まずは憲法を知ることから始めよう、という会に参加してきました。その日の講師は山崎翠先生。山崎先生は長年小学校の先生をされた後、憲法学者のご主人と、ご自宅の隣に「なかよし文庫」と「国分寺・市民憲法教室」を作られました。ご主人の亡きあとも憲法教室を受け継ぎ、81歳になられる今も、月1回の憲法を学ぶ集いと、月2回親子に絵本との出会いの機会を作られています。赤ちゃんから70代くらいまでの参加者がいる中、参加者のひとりひとりの目をしっかり見ながら、やわらかくも力強く、絵本と憲法についてお話くださいました。

 絵本は人に読んでもらう本だから、8歳までは読んであげて欲しい、と先生はおっしゃいます。絵本は愛の体験であり、生きるために必要な言葉と想像力を授けるもの。読んでいるこどもの様子をみながら呼吸をあわせて、ゆーっくり、ゆーっくり読まなきゃだめなのと。そういって何冊か先生が絵本を読まれると、読まれている先生と聞いている自分に絵本の世界への太い道ができて繋がるようなそんな不思議な感覚と安心感を覚えました。そして、ありのままのあなたが大切だよ、一人ひとりがかけがいのない存在なんだよ、ということを感じさせてくれる数冊の絵本を読んでくださいました。この絵本からのメッセージが、まさに日本国憲法での一番大切な考え方、第13条の「個人の尊重」(※1)と重なるのですと。


13条 すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


一人ひとりが違う存在で、同じく生きていく価値があり、お互いの違いや多様性を認め合っていく考えが、戦後作られた憲法の土台であることを改めて認識し、心強く感じました。同時に、効率と結果ばかりに目が行く今の日本で、個人の尊重が形骸化していることを改めて残念に思いました。でもこれを時代や社会のせいにしていたら、詩人の茨木のり子さんに「ばかものよ」と怒られますね!(詩「自分の感受性くらい」)。山崎先生は、「あなたはあなたのままでいいんだよ」という自己肯定感が、生きる力の根っこです、だから、子どもたちに絵本でいのちを育み、憲法13条も大切にしましょう、と力強くおっしゃいました。幅広い年齢がいる会場にも拘わらず、それを感じさせない一体感のある場の空気は、それぞれが自分は自分でいいという安心を改めて感じたからではないかと勝手に思いました。

この日に紹介のあった絵本は『ピース・ブック』、『わたしとなかよし』、『いいこってどんなこ?』他たくさんあります。先生のご著書『絵本で感じる憲法』(大月書店)で、先生のやわらかい語り口とともに、絵本と憲法の世界に出会えます。(ソガベ)


# by tomotomoso | 2018-12-26 17:39 | ふむふむつうしん | Comments(0)

ふむふむつうしん 第16回

近所に住む仲良しの小学1年生は、今、体の仕組みにとても興味がある。私の家に遊びに来ては、人体絵本を広げて、これは何?こっちは?と聞いてくる。最近は心臓にご関心。魚にも心臓ある? ―うん、あるよ、じゃぁ、貝には? -あ、あるはずだよ、ねぇ、アリにも心臓ある? -アリ、あり、蟻、うーん、あるんじゃないかなぁ、何かしらのものが、、、私のこたえはどんどん小さく怪しくなっていく。で、図書館に行って一緒に調べよう、という話になる。私もいろんな生きものの心臓が気になり始めていた中、和歌山県を旅行して、那智勝浦で生マグロをいただいた。どの部位も大事に料理にしている大将が、珍しいものを見せてあげるとその日解体した34㎏のマグロの心臓を見せてくれた。小さめの握り拳くらいでヒトの心臓より少し小さいかな、という大きさ。おぉー、これがマグロの心臓!深紅のきれいな色。あらためていのちをいただいていることに感謝。そして、早速小さい友だちにも報告をしなきゃと思いながらしばし感動していた。(ちなみに蟻などの昆虫には「背脈管」という体液を体内にめぐらせる心臓のような器官があるのだそう。)。

 さて、10月のおやこふむふむ、学び舎ふむふむ前半は「想像・体験の日」でテーマは「防災」。9月に自然災害が続いたので、あらためて災害に備えることはどういうことか考えてみました。まずは『子どもを守る防災手帖』(MAMA-PLUG著、KADOKAWA2016年)を参考に、自分たちの防災への取り組みの現状をチェック。参加者たちはみな、緊急時の避難場所を決めていたり、防災グッズを用意していたり、缶詰を意識的に使っていたりと、多かれ少なかれ準備はしていましたが、少し具体的にシミュレーションするだけでも、意識も準備も足りないことだらけということはっとします。また、防災への取り組みの姿勢にも、実際の非常事態の時の対応にも大きく影響する、「正常性バイアス」(異常を正常の範囲内のことと捉えて「私はだいじょうぶ」と思ってしまう人間の心理的な傾向)や、「凍り付き症候群」(緊急事態により思考停止状態に陥いること)についても確認しました。そして、では今何ができる?という具体的な話に。まずは身の回りの災害について知り、災害の種類ごとや災害が起きる季節や時間帯ごとに避難ルートや避難場所を考えて我が家のルールを家族で話しあって作ること。防災を意識しながら散歩したりピクニックしたりすることで、公衆電話の場所や緊急トイレの場所などを確認したり、非常食が食べやすいものかどうか、荷物が重すぎないかどうかなども点検できます。「学び舎ふむふむ」「おやこふむふむ」は、日常の小さな発見(感じて考える)の積み重ねを生きる力に、ということを目標にしています。防災への考えもまさしく同じで、「日常生活力」を高めることで防災(減災)につなげたいものです。親目線で考えていたけど子ども目線が足りなかった、他人事にせず自分事にしないと、子どもと一緒に意識作りをして生き抜く力をつけたい、防災を日常に組み込もう!といった感想がでました。でも、すぐに忘れてしまうのが人間。防災については意識的に今後も取り上げていく予定です。


10月後半の学び舎ふむふむは「自然から学ぶ日」でテーマは「植物の知恵」でした。これも面白かったですよ~。一緒にふむふむしませんか。(ソガベ)


# by tomotomoso | 2018-12-26 17:35 | ふむふむつうしん | Comments(0)

ふむふむつうしん 第15回


 私にとって秋は、ふっと物思いにふける季節。いつもぼーっとしているので、秋だけじゃない、と家族には突っ込まれてしまいそうだけれど。読書の秋というし、虫の音を聴きながら、少ししんみりといろいろ考える時間を持つのもよいもんだ。というわけで(?)、秋だ、堂々とぼーっとしよう。


 東海テレビ制作の映画「人生フルーツ」で、つばた英子さんが「ときをためる」という表現をされていた。「ときをためる」。つばた夫妻の毎日を丁寧に生活する姿は、まさにそれを体現されていた。「ときをためる」にはいろんな意味がこめられていると思う。そのひとつに、彼らの指す「とき」は自分たちが生きている時間を指すだけでなく、自然と次世代の「とき」につながっているのを感じる。丁寧に耕した土は、孫の世代まで引き継がれていく。いや、どんな人が過ごす「とき」も自分の「とき」のようで、多かれ少なかれ、そして善いものも悪いものも、必ず他者にも影響をもたらすもの。自分だけの「とき」というのは幻想で、存在しないのかもしれない。自分のものであって自分のものでない。時間もいのちもそして生き方も。


 先日、住んでいる地区の組長総会があり、今年は組長を仰せつかっているので出席した。そこで、防災についての講演会があり、「震災がつなぐ全国ネットワーク事務局」の松山さんが30分という短い時間で話をしてくださった。災害に遭った方が必ず口にするのが、「まさか自分が被災するとは」という言葉だという。その場で松山さんが、自分が生きている間に災害には遭わないだろうと思われている方、と聞くと、ご年配者が多い会場内で、何人かが正直に手をあげる。遭わないと思うというより、そう願いたいという人も多いだろう。ここ10年だけをとっても、日本にどれだけの自然災害が起きているかという事実と、今後50年の間に東海地方では90%の確率で地震が起こることが予測されている話があった。そして松山さんは、自分はその時に生きていないかもしれない、用意した防災グッズは使わないかも知れない。でも、子どもさんが、お孫さんが、被災するかもしれない。その人たちに防災を伝えられるのが皆さんなんです。防災の姿勢を自らの姿勢をもって繋いで欲しいと。メモして聞いていなかったので細かい言い回しは違うけれど、私はそんな風にメッセージを受け取った。防災というひとりひとりの行動ひとつも、「次世代につながること」、「ときをためる」ことになるのだと思った。


 さて、今月の学び舎ふむふむは、前半が「季節の変わり目を五感で感じる」、後半が「障がいについて考える」、おやこふむふむは「自分との対話、他者との対話」でした。10月は「防災」「植物の知恵」について感じて考えます。体験参加お待ちしています!                         (ソガベ)


# by tomotomoso | 2018-09-28 14:42 | ふむふむつうしん | Comments(0)