ふむふむつうしん 第5回
「学び舎ふむふむ」はひと月に2つのテーマを取り上げます。身近なものをあらためて見つめてみる。そこに他の人の見方や気づきも加わり、新しい発見の連続です。
11月前半は哲学・言葉の日。今回は『歎異抄』をとりあげました。
『歎異抄』は鎌倉時代の僧、親鸞の死後、異なる解釈(異義)が広まっていることを嘆いて、弟子の唯円が筆をとって書いたといわれている書物です。西田幾多郎、司馬遼太郎、遠藤周作などなど、名だたる知識人がこの書物に魅了されてきたといいます。みなさんご存知ふむふむ案内人の釘宮さんもそのひとり!釘宮さんは『歎異抄』の一節をとても大事にされていて、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」をよく口にされています。「人間はしかるべき業縁にうながされたら、どんな行いでもするものだ」という意味の親鸞の深い自省の言葉です。
今回のふむふむでは、この言葉と、有名な悪人正機説が出てくる第3条の一部を読み、親鸞の思想に少し触れてみるとともに、宗教とは何かということも考えてみました。「悪人」「他力」「信心」などの言葉ひとつひとつの意味も、視座をどこにおくかで意味がまったく変わってきました。厳しい修行もしてきた親鸞が、善悪は自分にはわからない、人間である自分は何をみても自分の都合というフィルターを通して考えてしまうものだから、と言っているところにも注目です。この視点が、多様性を認める社会に近づくためには大事だと思いました。
「さるべき業縁の」を釘宮さんに教えていただいたときに思い出したのが、美智子皇后の御歌。
知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず
これはアフガニスタンのバーミアンの石像がタリバンによって爆破されたことをうけて2001年に詠まれた御歌です。なんてひどいことをするんだろう、ただそれしかニュースをみて思わなかった私は、「私も撃っていたのではなかろうか」などとご自分に引き寄せて、事象の背景まで思いを巡らされていることに、感動と衝撃を受けました。皆さんはどうお感じになりますか?
11月後半は暮らしの知恵から学ぶ日。テーマは「正月」。師走を前に、正月という年中行事をあらためて見つめなおしてみました。新たな一年が始まる正月は、すべての生き物が新たな生命を得て、再生されると考えられてきました。その生命を授けるのが正月の神様である「歳神様」。「明けましておめでとう」と言い交すのは、無事に新年を迎えられた喜びを表すとともに、歳神様を迎えて一人ひとりの魂が新たに生まれ変わった「めでたさ」をいうことからきているのだそうです。そうしてみんなそろって元旦に1歳年を重ねるのが数え年の習慣。神様の力が宿ったお供え物の鏡餅を年少者に分け与えるのがお年玉「年魂」の始まり。。。来年は意識して新年を迎え、こどもや孫にも伝えよう!そんな声があがりました。
年中行事には神仏や自然に対する畏敬の念や祈り、先祖への尊敬と感謝、子孫の幸せや繁栄を願う気持ち、家族や地域がつながって生きる知恵にあふれています。個人の自由、自己責任など、「個」に重きをおく現代社会ですが、おかげさま、お互いさまの気持ちは忘れたくないなと思います。何しろよくもわるくも縦にも横にもつながっていてすべてが存在していますから。
さて、今月もあとひと月。12月はどんな気づきや出会いがあるのか楽しみです。