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何からでも学ぶ和らぎ教室
by tomotomoso
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ふむふむつうしん 第38回

性犯罪刑法の見直しに注目しよう

 

 我が家のミニミニ田んぼ(バケツ)の稲。8月になって穂が出て花が咲きました!毎日食べているお米ですが、稲の花を見るのは初めて。風媒花で受粉に虫を呼び込む必要がないから大変地味で清楚な花です。天気のよい午前中、ほんの数時間だけ咲く稲の花。花が咲いておしべの花粉が同じ花の中にあるめしべに付くことで受粉が成立します。そしてそれが一粒一粒のお米に。開花から40日ほどで稲刈りとのこと。引き続き楽しみです。

 さて、今朝(827日)の朝日新聞の折々のことばに、小児科医の松田道雄さんの言葉が取り上げられていた。「恋愛をほんとうに明るいものにしようと思ったら、性の不平等を、社会的平等で補強工作していくことだ」と。50年前に書かれた『恋愛なんてやめておけ』という少年少女に語った本からという。「「めいめいちがう人間が、本気で相手の人生にはいりこむんだから」当然厄介なこともいろいろ絡んでくる。何かあった時「けがが大きい」のはたいてい女の子のほうだ」と。残念ながら、性の不平等が社会的()平等によって増強されているのではないかと思うことがまだまだ多い。その大きな問題のひとつが日本の性犯罪に関する法律の問題。20176月になんと110年ぶりに大幅改正された性犯罪に対する刑法だが、改正後もなお、「同意のない性行為をした加害者が処罰されない」「13歳以上の子どもに対する性行為は成人と同じように扱われる」など多くの課題が残っている。2019年春に続いた性犯罪裁判の無罪判決をきっかけに、フラワーデモが始まって全国に拡がり、12の市民団体が「刑法改正市民プロジェクト」の署名を法務大臣に提出。刑法見直しの今年、被害当事者や被害者支援に携わる人もメンバーに加わった刑法改正の検討会が発足し、改正に向けて話し合いが行われている真っただ中だ。

 刑法の問題だけではなく、日本は性教育もとても遅れている。「学習指導要領は中学の段階でも性交や避妊を扱わないことにしている。これでは被害に遭っても、自分の身に起きたことを十分理解できない恐れがある。人間にとって性とは何か、互いに尊重し合うことがいかに大切かを義務教育の段階から伝え、その一環として被害を受けた場合の対処も教える。そんなふうに見直すべきではないか。」(2020818日朝日新聞社説「性犯罪対策 子どもの被害絶つため」)。日本の刑法では、性交同意年齢(性行為の同意能力があるとみなされる年齢の下限であり、性行為がどのような行為かを理解し、自分が性行為をしたいか、したくないかを判断できる年齢とされている)は13歳と、他の先進諸国と比較すると低年齢。教育の機会なくどうしたら理解と判断ができるようになるのでしょう。気軽に話すには痛みや抵抗が伴う話ではあるかもしれないが、性犯罪から大切な人を守るためにも(加害者にも被害者にもならないために)、自分たちと切り離せない問題としてこの問題に注目していきたいと思う。(そがべ)


# by tomotomoso | 2020-09-01 10:00 | ふむふむつうしん

ふむふむつうしん 第37回

三方よし! 希望を紡ぐ

 

 7月中旬、我が家に新しいメンバーが加わりました。名古屋の動物愛護団体「SORA小さな命を救う会」が引き合わせてくれた、推定8歳の保護犬のあいかちゃんです。出会う人にも犬にも猫にも尻尾をふりふり。穏やかなので小さなこどもたちにも大人気です。初めて犬を触ったという男の子は嬉しそうに「あったかいねぇ」と。小さな女の子も、そぉーっと背中に触れてはっと目を大きくして母を見て笑顔に。車の町で今まですれ違う人と話す機会が少なかったけれど、犬の散歩をしている方とちょっとした話をする機会が増えたのも喜びです。あいかちゃんもどうやら新しい暮らしは気に入ってくれている様子(だといいな。)。夫も私も、もうずっと彼女と一緒にいたような気持ちになっています。その話を遠くに住む友人にしたら、三方よしだね!と。確かに!!相手よし自分よし みんなよしの三方よしを感じます。たくさんの人が繋いでくれためぐり合わせに感謝しています。

ブリーダー放棄でケージに入れられたままだったというあいかちゃんは、保護されたばかりの時はお外が怖くて散歩もできなかったといいます。私たちのもとに来るまで2か月以上預かってくださっていたボランティアの方のおかげで、うちに来た時には上手にお散歩もできるようになっていました。SORAさんなどの動物愛護団体は様々な背景を抱える犬を保護すると、病院で必要な検査・治療・手術などを受けさせ、ワクチンの接種や避妊手術をし、家族として受け入れる里親探しまでされています。最期まで飼う意志と環境が整っているか、犬の性質と家族構成はあっているかなどをすり合わせ、丁寧なやりとりのもと、引き合わせをしてくださいました。お見合いそのものの真剣さです。一度里親のもとに行っても戻ってくるケースもあるとのこと。人間の都合で苦難を経験した動物たちが、この後は幸せに暮らして欲しいという、関わった多くの人たちの切実な願いも受け取りました。このコロナ禍で、レスキューが必要になっている犬猫たちが増えているとのことにも胸が痛くなります。でもまずは一隅を照らす!

 7月後半の学び舎ふむふむは「希望」がテーマでした。希望とは何か、不安や絶望からどう希望が生まれるのかについて、「希望学」の視点から考えてみました。コロナ禍、自然災害、たくさんの危機が容赦なく重なる今日です。人の回復し生き延びる力、あきらめない思いと行動そのものにも希望を感じます。今この時にできる小さな行動を繰り返していくことで、新たな希望の光がみえてくるのだという思いになりました。(ソガベ)


# by tomotomoso | 2020-08-01 10:00 | ふむふむつうしん

ふむふむつうしん 第36回

 自分のどんな感情もまずは受けとめる

 今年はバケツで稲を育てることに挑戦中。玄米を発芽させて苗を作り、バケツに田植え。今のところなかなかよい感じで生長中(だと思う)。もしも秋に上手に稲が実ってくれたとしても、一膳にもならない量。でも、毎日食べるお米が芽を出し今は茎を太くしている姿に、植物のいのち、生きるエネルギーをいただいて生きていることを改めて感じる。学び舎ふむふむで以前取り上げたテーマ「一膳のごはんの向こうに」で知った、1×1年間分のお米の収穫に必要な田んぼの面積は約120㎡(約36坪)、必要な水の量は240トン(※1)。120㎡の大地と240トンの水と太陽の光と空気とそこに関わる生きもの、そして人間の手、数知れず。目に見えるけど見ていないもの、そして目に見えないものにたくさん私は生かされている。ありがたや、ありがたや。

 6月の学び舎ふむふむ後半のテーマは「差別を考える」でした。コロナ期に見えてきた感染者に対する差別、感染リスクの高い職業従事者に向けての「差別」。アメリカで起きている黒人差別の問題。これらの「差別」は他人事?「差別」について考える自分の気持ちと構えはどんなもの?「差別」はどこにいつ生まれているのか?などと考えていきました。「差別してはいけません」という“常識的”な言葉は「なぜ?」を省かせ、「差別」を解決するべき「(社会)問題」と捉えると、とたんに自分ごとから切り離してしまいがちです。今回は「差別」について考える導入編。自分の中に日常的に見え隠れする「偏見」や「差別」に気づくよい機会となりました。

ふむふむでは、視点・視座・視野を変えて多面的にものごとをみつめることを大事にしていますが、同時に、例えば社会問題として自分の外に課題を置いて考える視点よりも、ものごとと自分との関係で考える視点を大事にしています。客観的に見つめる視点はもちろんものごとの全体像を捉えるのに大切です。ただやはり常に立ち戻りたいところは、感じて考える主体であるはずの「私」。ものごとの全体像を知った上で、またはそれを知る上でも「私はどうなのか」を自分に率直に問う。「今まで私はどうしてきたのか」「このあと私はどうしたいのか」。哲学者の森岡正博氏がいうところの「自分を棚上げしない」思考を目指しています。「対象となるべき「ものごと」と、それに立ち向かっている「自分自身」とのあいだを、絶えず行き来して螺旋状に思索の輪を深める」(※2)。この絶えず行き来というのを大事にすることで、学びが生きたものになると私は思います。知識を増やすのではなく、自分の感じ方を素直に受けとめ、そして自分で考え続ける知恵と体力気力を私は養いたいと思います。そして最近あらためて思うのは、自分の「感情」をないがしろにしないことの大事さです。否定的な感情を持った時、そんな風に考えるべきではないという思考で感情に蓋をすることがあります。でも感情をただ押さえつけると、結局思考が硬直したものになってしまう。常識的であること、体裁を整えることを優先して置いてきぼりにしてきた自分の気持ちをまずは受け止めるステップを大事にすると、心と頭がバラバラになることを防げ、柔らかい思考とその次の行動につなげられる気がするのです。最終的に人を動かすのは理屈ではなく感情ですし。。。        (ソガベ)

※1:1日1合(2膳強)×365日=約60㎏=1俵として計算した場合。学び舎ふむふむ資料より

※2:『自分と向き合う「知」の方法』森岡正博、ちくま文庫、2006年より


# by tomotomoso | 2020-07-01 10:00 | ふむふむつうしん

ふむふむつうしん 第35回

問われているのはひとりひとり
私が今暮らす家には以前住んでいた方が植えたジューンベリーの木があります。今年は嬉しいことにたくさんの実をつけてくれました。5 月の最終週、紫色を帯びてしっかり熟したよい頃合いの4、5 日の間、お客さんの多いこと!少し前から偵察によく来ていたヒヨドリだけでなく、スズメやメジロが次々とやってきました。みんなペアでやってきます。メジロは静かに来て食べて去るのですが、ヒヨドリやスズメはなかなか賑やかにやってくるので、鳥好きの私にすぐ覗かれます。赤い実をくわえながらこちらを見て、やばい!見つかった!と飛び去る姿も楽しませてもらいました。
さて、5 月は学び舎ふむふむを 2 回オンラインで開催しました。テーマは前半が「新型コロナ感染症と向き合って今感じること考えること」、後半が「これからの社会の形を考える」でした。コロナ禍と言われる今、それぞれ置かれている状況は異なりますし、感じ方、気づくことは様々です。それをあえて言葉にし、他者に伝え合うことで、自分の思考を整理したり、拡げたりする機会がふむふむの時間です。共通して出てきたのは、今まで毎日を慌ただしく過ごす中で、見えていなかったこと見過ごしてきたこと。家族も含めた自分と他者との違いや距離を意識する機会になったこと。また、咳エチケットや密を避ける生活への変化の中で見えてきた、人と人との関わりの中での大事な要素なども具体的に話があがりました。後半では、毎日の生活や生き方を見直す機会になっている今、改めて考える人間らしい生活って何?、憲法 25 条で保障されている「生存権」にある「健康で文化的な最低限度の生活」とは何であるかと考えていきました。聞きなれた言葉を改めて自分に問うと、言葉は考える道具である一方で、言葉になっていることでわかった気になり意味を自ら咀嚼することなく用いていることが多いということにも気づかされます。そして宇沢弘文さんの「社会的共通資本」の視点を通じて、私たちの生活・生存、社会の円滑な機能のために必要な資源、モノ、サービスや制度についてもみていきました。今後も深めていきたいテーマがあがるよい機会となりました。前半で用いた資料に、藤原辰史さんの「パンデミックを生きる指針―歴史研究のアプローチ」(※1)があります。生命の危機にあふれた人類の歴史から学び、「楽観主義に依りすがり現実から逃避」することなく現在の状況を生きる指針を探る、読み応えのある文章でした。その中で紹介されていて私の胸に突き刺さったのが、武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家方方の次の言葉です。「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、車が疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか(中略)、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」。どんな社会に暮らしたいか、どんな社会を目指したいかを考える際に、自分が意識的にも無意識的にも選択してきている価値観や態度を客観的に見つめる過程をなくして、社会や物事を判断する基準を築くことはできないと改めて考えさせられました。 (ソガベ)
※1:岩波新書ホームページ「B面の岩波新書」https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

# by tomotomoso | 2020-06-01 10:00 | ふむふむつうしん

ふむふむつうしん 第34回

ぬか漬け2年生 笑顔と日常を大事に

 

 ぬか漬けを始めて1年が経った。初めてのくせに失敗を恐れてというより、ものぐさな自分への信用がなく、この1年の間は冷蔵庫内で漬けていた。家にいることが増えた今、ぬか床を室内に出し、朝晩かき混ぜている。まず、かき混ぜる時にぬかの温度を感じる喜びが増えた。そしてぬか床のふかふか度も違う。発酵しやすい環境が整っているのを感じる。かびが生えやすいから手間はかかるが、気に掛けることでぬか漬けの食卓への出番も増えた。味の変化は、残念ながら今のところわからず。夏はやはり冷蔵庫かなぁと思いつつ、もう少しやってみよう。なんでも実験!

子どもの頃、アニメに出てきた「テレビ電話」に憧れを抱いていたけれど、インターネットの普及とともにさらっとそれは現実のものとなった。海外に住む友人とも料金を気にすることなく、気軽に顔を見ながら話せる時代。そしてこの度のコロナ感染拡大で直接会えない人が増えた中、改めてテレビ電話のありがたみを感じている。顔を見て話せるのはいいものだ。今年80歳になる母は東京で1人暮らし。今までは電話で話すことが多かったが、今回、母とLINEを使ったテレビ電話に挑戦。何度か練習するうちに、母もなかなか使いこなせるようになってきた。相手の姿と同じように画面に出てくる自分の姿に、「あらあら、お化粧もしていないし、髪も伸びちゃってひどいわ」などと言いながら慌てて身なりを整えようとする姿もほほえましい。誰かの視線が日常に入り込むというのも、互いのよい刺激になる。何より表情を見ながら会話できる喜びが大きい。母も話し始めよりみるみる元気になるのが伝わってくる。もちろん、相手の温もりや、共有するその場の空気など、直接会うことにはかなわないけれど、会うことがままならない今、電話でも手紙でも、または遠く離れた場所で同じ月を眺めることででも、大切な人と繋がることができる。コロナ感染がもたらす不安や恐怖は、簡単に孤立や不信を招くのは多くの人が感じていることだと思う。相手がどんな状況にあって、どのような思いで過ごしているかはわからない怖さもある。でもこんな時だからこそ、心の距離まで離すことなく、気にしているよ、元気でいようね、というやりとりをして、互いの心の健康を保ちたいと思う。

 先月のふむふむつうしんで日本赤十字社の「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!」を紹介した。3つの顔とは、「体の感染症(病気)」、「心の感染症(不安)」、「社会の感染症(差別)」だ。先ごろ日本赤十字社は「ウイルスの次にやってくるもの」という絵本アニメーションを新たに公開した。感染拡大から生じる「恐怖」を、「ウイルスよりも恐ろしいもの」とし、どんな風に恐怖が大きくなり、どうしたら恐怖から心を守れるのかがとてもわかりやすく描かれている。「恐怖が苦手なものは、笑顔と日常だ。家族や友人と電話して、笑おう。いつものように、きちんと食べて、眠ろう。恐怖は逃げていくだろう」

体と心は切り離せない。心も忘れず一緒に守りたい。          


# by tomotomoso | 2020-05-01 17:00 | ふむふむつうしん